213日の間の話

最後にblogを更新したのはなんと213日前らしい。

今日は久しぶりに何かを書きたい気分なので更新しようと思う。

 

通院先の精神科を転院してから半年以上が経ちました。

転院した時に前の病院の先生に書いて貰った紹介状で自分の病名を知ったのだけど、

あれから症状も変わったりお薬も変わっていたりするから病名というか

診断が何か少し変わっているのかが最近は凄く気になるこの頃です。

診断に変化がないから特に病名に関して何も告げられないのか、

自分から聞かないといけないのかわからずうじうじ悩んでいます。

次回の診察の時に聞けたら聞いてみよう。。

何をするにもうじうじしてしまう自分に落ち込みます。

 

ブログで過去の被害について書いてみた日から、

自分が過去に受けた性暴力について考えることから

意識的に逃げているような感覚があります。

また向き合おうとする日が来るのかこのままが続くのか

いまはまだよくわからない時期なようです。

 

最近は郵便や電話が来るのが怖く感じられて

そういうものに執着というか強迫的に囚われて

郵便配達が来てからじゃないと出掛けられなくなっています。

それより前に出かけてしまうと、

「何か郵便物が届いていたらどうしよう」

という考えに苛まれてしまう感じです。

謎な症状で困ります。毎日1日をとても長く長く感じます。

 

とりあえず毎日、

郵便物は逃げないから帰宅してから確認したら大丈夫

と言い聞かせています。

これも性被害を受けたことに何か繋がりがあるのかなと思ったり。

 

久しぶりのblogも相変わらずどんよりしております。笑

良いことも書こう‼︎

 

この2週間は笑えることが増えたなと思います。

この前まで表情が消えていた感覚があったのですが

最近は海外ドラマを観ていてニコッとする瞬間が多々あり嬉しいです。

 

あと人と会話したいなぁと感じる瞬間が増えました。

もう少し元気が出たらオンラインの自助グループなどに参加したり

同じような今を過ごしてる人と話せる機会を探したりしてみたいです。

Twitterでもフォロワーさんに自分からもリプしてみたいなと感じます(*^^*)

 

困難は尽きませんが1日1日漂いながら春を迎えたい🌸

読んでくだっさった方ありがとうございます◎

力を貸してくれた書籍たち

今日は今までに読んで自分が力をもらった本について書いてみます(*^^*)

 

◉エンパワメントと人権 こころの力のみなもとへ 森田ゆり

この本ではエンパワメントというのが何かについて詳しく書かれていて、自分に必要なもの/不必要なものの区別をつける力をくれました。数年前に初めて読んだのですが、子どもの人権と女性の人権を守るために必要なことも具体的に書かれているし20年ほど前の本ではありますが今でも何度か読み返し勇気をもらっています。文章がとても読みやすくて好きな1冊です。

 

◉ぼそぼそ声のフェミニズム 栗田隆子

栗田さんご自身の経験から女性の貧困や労働の問題などについても書かれていて、普通に働けたことがほぼ無い私はこの本にかなり救われました。『婚姻制度・年金制度・企業体質が女性の貧困をグルになって推し進めているという視点はどこにもないのかと胃を痛くしながら吼えたのだ。』という1文に痺れたし心の底から共感しよく辛い時に読み返してます。

 

◉私たちにはことばが必要だ フェミニストは黙らない イ・ミンギョン

自分がフラッシュバックで最悪な体験を追体験してしまう時はこの本で学んだことを思い出して、当時の加害者に今の私で言い返すようにしています。この本を読む前はフラバした時は自分自身も子どもの頃に立ち戻ってしまっていたけれど、読んでからはフラバしてもあの時のままではなく脳内でなるべく今の自分で言い返そうと出来る日も増えるようになった。上手く説明できなかったですが、自分と一緒に戦ってくれるような1冊です。図やイラスト入りなので読みやすいです。

 

あと数冊、紹介したかったのですがお腹が空いてきたので今日はここで終わりにします。

読んでくださった方、ありがとうございます。

不安との闘い方

少し久しぶりのブログになった。

今日は不安に飲み込まれそうな時に私が普段からやっている気分転換の方法を書いてみようと思う。

 

その①ジャーナリング

私は自分が起きた時間とその時の気分、飲んだ薬と飲んだ時刻などをなるべく毎朝ノートに記録するようにしています。不安感が大きくなりそうな時は、早めの段階で自分の今の気持ちをそのノートに書き殴り『何が不安なのか?』を可視化しています。何が不安なのか分からないと不安な状態であること自体が不安になってきて、しんどさが加速して寝込む事がよくあります。ですが『何が不安なのか?』さえ分かればその事だけ悩めばいいし、それが自分にはどうしようもできない事だと分かれば少しずつ諦めがついて不安の増殖がそこで一旦ストップするような感覚があります。

ジャーナリングを続けていくと自分が不安になるきっかけや、生理前にどんな症状になるのか、日頃よく悩んでいること、鬱が暴発するトリガーが何なのか、などに気づく場合もあって個人的にはかなり自分の助けになっています。

 

その②見慣れた好きなものを見る

不安な時は何も手につかない事が多くて、自分は何もできない人間だと更に自身を追い詰めるような思考に陥りやすい気がします。新しいことをしたり新しいものを見てもそういう状態の時は頭に入ってこないので、私は自分が好きな海外ドラマのその中でも特に好きなエピソードを流しておくようにしています。真剣に見なくても何度も見たことがある好きなものであれば音を聞いてるだけでも「あっ今あの場面だな」とわかるし、不安な時によく現れる自分に対する無能感がそれがきっかけで和らぎ気分が落ち着くこともよくあります。好きな映画やアニメでも代用可能だと思います。

文字を読む余裕がある時は好きな本を読む場合もあります。好きなページに付箋を貼るようにしておいて、辛くなりそうな時はいろんな本の付箋の箇所を読み続けることでいつの間にか興味関心が本の中に向いて楽になってる日もあります。

 

その③早め早めの対処

私は不安な時ほどあえて夜更かしをしてみたり、薬を飲まなかったり、蒸し暑い部屋で閉じ籠っていたり自分の世話をしないで放置しがちです。後々自分で振り返ってそりゃしんどいわと思う事がかなりあります。病院で処方されているお薬と眠剤はなるべく23時までには飲み終えて、不安時の頓服薬がある場合は(しんどさのレベル10をMAXとしたら)レベル3から4あたりのしんどいで頓服薬を飲むようにしたり、冷房はケチりすぎずに使って暮らすだけで不安に殺される確率は減るし、空腹が不安を怒りに変えているだけのこともあるし、とにもかくにも早めに自分の世話をしておくことが大事なのかなと最近感じるようになりました。水分補給とかご飯の自分に取って必要な量や良いタイミングを把握するのも簡単ではないから、ジャーナリングを併用して今日は水もっと飲まなきゃと思うようにしている。

 

書いてると当たり前のようなことも、いざやろうとすると難しいことばかりだから今日書いたことを自分で忘れないように1日1日積み重ねたい。暑さでやられそうになるけど水飲んで自分を世話して生き延びる。

 

えいえいおー。

父と祖父からの性的虐待

※この記事では性暴力被害について細かく記載している為、フラッシュバックを引き起こしてしまったり気分を悪くさせてしまう可能性があると思います。読んでいただけます際はご自身の状態や体調をご考慮いただけましたら幸いです。

 

今日は自分が受けてきた被害について書こうと思います。自分の苦しみをいつか語りたいと思いつつも、他者を目の前にしてはいつも重い口が開かず主治医にも詳細を伝える事がこれまで出来ませんでした。

文字で書くという方法なら出来そうな気がするというのと、吐き出して気持ちの整理をつけたいという想いがこの頃は大きいので、全部とはいきませんが今の自分が書ける範囲で記しておきたいと思います。

 

私は母方の祖母、母、父が暮らす家に生まれました。私が4歳の頃に妹が生まれたのですが、同時期に一緒に暮らしていた祖母が若年性のアルツハイマーであることがわかりました。長年シングルマザーで私の母を育てるために頑張ってきた祖母を、母は施設ではなく家庭で介護することを決意しました。妹が生まれ母は育児と介護を同時進行で毎日やらねばならず、父は朝仕事へ行き夕方に帰宅するといった感じでその頃からなんとなく家庭内の雰囲気が母は祖母と妹の面倒を見て、私は保育所から帰宅したら父と過ごすというようになりました。

夜寝る部屋も妹と母と祖母が同じで、私と父が同じといった感じになり中学生頃までそれが続きました。

夜寝る時は毎日父に「おやすみのチュウは?」と言われそれに応えるのが決まりとなっていました。その後は「背中をかいてあげる」と言い私が眠るまでパジャマに手を入れて体(下半身も)を直接撫でるのが日課でした。私は4、5才の頃から寝る前はこれが毎晩の事だったので大きくなるまで何をされているのか理解できていませんでした。

お風呂にも私は必ず父と一緒に入らなければならずそれは中学生になっても破ってはいけない決まりでした。1人で入りたいと伝えても父は口癖のように「〇〇(私の名前)が大人になっても一緒に入るぞ」と言っていました。

 

小学校高学年になり生理がきた時からは「大人のお勉強」と称して私を膝の上に乗せ大人になるにつれて自分の体がどう変化していくのかを体を直接触られながら説明されるようになりました。母が家に居ない時によくこの「大人のお勉強」をされました。

この頃からは夜寝る時に体を直接触るだけでなく、そこから踏み込んだこともしてくるようになりました。そのあたりから私自身も、何をされてるのか理解はできないけれど物凄く不快だと感じるようになってきました。

その頃から体にも症状が現れだし夜に眠れなくなり、排尿コントロールができなくなりました。学校や家でトイレが間に合わない事が増え、それが友達にいじめられる原因にもなり凄く辛かったのを覚えています。毎日夜用のナプキンをあてて学校へ行っていました。人に真横や真後ろに立たれることが怖いこととなったり、急に体の制御が効かなくなり置物を叩き割ったり、学校の帰り道で川に石を腕の感覚が無くなるまで何度も思いっきり投げ続けていました。

当時は性的虐待が原因でそうなっていると分かっていなかったので自分は変わり者で出来損ないなんだという気持ちでした。せめて学業だけは頑張ろうと高校生の頃に燃え尽きるまでは、良い成績を取れるように頑張っていましたがそれも思ったようにできない場合がほとんどでした。

中学生になってからもほぼ毎晩父からの加害が続きました。その中で、一つ変化がありました。その頃から父が「お父さん、昨日の夜変なことしてなかったか?寝ぼけてて覚えて無くてな。」と、毎朝私に聞いてくるようになりました。それを父に聞かれ始めてから、私は父が自覚を持って「変なこと」を私にしているんだと気づきました。

その頃から父に自分の体を触れられることをどうにか避けたいと思うようになりました。まずは義務だった一緒にお風呂に入る事と寝ることをどうにか止められるように頑張りましたが、同じ家に住んでいるので上手くいかず別で寝ていても側に来て布団をかけるふりして体を触られる事が何度もありました。当時は自分の中で父の言う事を聞かないことはダメなことだと思ってしまっていたので、自分が父を拒否したい気持ちをうまく認めてあげられてなかったと振り返って思います。

中学生の頃に父方の祖父の家の修繕が必要になり少しの間、父方の祖父と一緒に暮らしていた時期がありました。ちょうど夏休みの頃だったのですが祖父と私で留守番をしていた時に、祖父が私の下半身を無理やり触ってくることがありました。父と同じことをそのまましてきたので体が固まってしまい動けませんでした。その時の祖父の顔が微笑んでいて、それが今でも夢に出る事があります。それから2人きりになることがある時には祖父と父は親子で同じ生き物だから同じことをするんだと自分に言い聞かせてやり過ごしていました。祖父のあの微笑んでいる表情が強烈過ぎて、祖父のことを思い出すときはされたことよりもその顔を思い出して苦しむ事が多いです。

高校を卒業して数日後に家を出るまで物心ついた頃からずっと日常の中に当たり前に加害行為がありました。それを認識できるまでに何年もかかったし、今こうして文字に起こしていてもしんどくてはっきりと状況を描写することができない部分がまだまだ多いです。家庭内で起こる性暴力は誰にも気付かれない場合が多いこと、子どもの頃に受けた傷は認識するのにまず時間がかかるし、傷を認識して初めて治癒を目指せるから何年も何年も苦しみが続く事が多いのかなと感じます。

私は30歳になって今やっと自分が人間だと思えるようになった気がします。それまでは自分の事を普通とは違うモンスターだと思っていて、父と祖父から離れても健全に生きることができませんでした。父と祖父との時間も地獄でしたが、離れた後が地獄の本番が始まったなと思うような人生でした。大人になり、性的虐待について女性センターやそこで読んだフェミニズムの本で知識を得てやっと自分が歩んできた暗闇に光を当てる事ができました。そこで初めて私は、自分が他の人に傷つけられてはいけないし他の人を傷つけてはいけない人間なんだと実感できました。

 

被害者が今よりも簡単に時間をかけずに、自分が人間だと思い出せるような世の中の仕組みが増えたらいいなと思う。私はそれを増やしていけるように元気を取り戻そうと思う。

 

最後まで読んでくださった方、ありがとうございます。

転院とサブタイトル

今年の初め頃、日中に体の震えが止まらず冷や汗が出てきて失神してしまうことが増えました。悪夢を見たり不眠であるのは学生の頃からある症状なので慣れているのですが、失神するのはそれまでに年に数回ほどで頻繁に起こることではありませんでした。

 

何とかやり過ごしていたのですが今までにないタイプの身体症状が頻繁に起こるせいで不安が日に日に大きくなり、このまま耐えて生きていてもその内に父が年老いて介護が必要になり私が面倒を見るしかなくなったら嫌だなぁ。とか、自分がしんどい時にまで嫌な事をされた奴の事を考えている人生って何なの?と生きてく気持ちがなくなるような思考を続け、30歳を目前に人生最大の希死念慮を抱くようになりました。

そこから失神のこともあり数年前に通院していた精神科へまた通うことになりました。

 

今回のように私は人生の中で仕事を続けることが難しくなる時が度々あるので、それに伴い金銭的に安定している時期も少なく通院や人間関係を継続するのが難しかったりします。

(このことについては後々もっと詳しく書いたり、自分がやってきた対処法や少ないけれど行政やそれ以外の機関が手助けしてくれる制度を調べて書いてみたいなと思います。)

 

再び通い出した精神科の先生はいつも、呼吸法や何が人間に大切かを診察中に説いてくれる方でした。悪い先生ではないのですが自分には合わないという気持ちが病院へ行くたびに増えるので、先月転院する事を決意しました。調子が良くない時は、予約の電話をすることや紹介状を間に合わせるようにお願いすることにもパワーがいるので今月前半はずっとぐったりしていたように思います。

 

今週新しい病院での初めての診療だったのですが、病院自体の雰囲気が自分に合っているように感じました。初診だったので看護師さんが聞き取りをしてくれたのですが、細かく配慮してくださる方で今までの病院って何だったのだと拍子抜けしてしまう程でした。主治医の先生が紹介状を読み私にかけてくれた第一声が「あなた大変でしたね。辛い時間が本当に多かったと思います」でした。文字にすると簡潔な一言に見えますが、優しくでもはっきりと私の目を見て声に出してそう伝えてもらえた事に物凄く心が救われました。今まで誰にも言ってもらえなかった事を言われて、初めて自分がマイナスの所から0の位置に戻ってこられたと思えました。

お薬は自分に合うものを試しながら探すものだから飲んで違和感がある時は気を使わずに伝えてねと言ってくれたり、薬や通院を金銭的な事情や気分が不安定な時に自己中断する癖がある事にもその状態になる前に相談しようと具体的な解決策をくれました。先生に言われたことから、私は自身の現在の状態や気持ちを人に伝えることが苦手だからノートにそれらを記録しておいて問題が起こる前に対処できるように備えようと気づくことができました。

 

その日から、すぐに全部を変えることはできないけれど0に戻れたことだし、まずは1に進めるように苦しみと折り合いを付けていく方法をゆっくり探そうと思えるようになりました。

このブログのダサいサブタイトル~30歳からリスタート~は、30歳を目前にして希死念慮に苛まれた人間が30歳になって0からやってみようかと小さなきっかけで大きな心境の変化が起こった事を忘れたくないなと思って付けてみた。

 

転院する事を機に今までの自分の人生を細かく振り返っていると、この経験は同じ経験をした人と共有したいなぁと思ったり、今苦しみの渦中にいる人にもしかしたら参考になるかもしれない出来事なども思い出して、それらもブログを開設した理由になります。

 

文章いつも長くなってしまうね。。

性暴力を生き抜く

初めましてcouです。ブログを開設してみました。

ブログは初めてなので上手く使えるか不安ですが、外にも開かれた形で自分の経験を残してみたい気持ちが大きくなったので頑張ってみます。

 

最初の記事では何故ブログを始めようと思ったのか書いてみようと思います。

 

私は幼い頃から高校を卒業するまで父と祖父から性的虐待を受け育ちました。子どもの頃は性的虐待や性暴力について知識を得る機会がなかったので、子ども時代にみんなと同じようにできない事が多いのは自分が悪いのだ!このままじゃ恥ずかしい!と思い様々なことを全力でがむしゃらに力尽きるまでやってきたように思います。

今になりようやく自分がされていたことが性的虐待であったと理解してからやっと、今までみんなと同じようにできなかった事は性暴力を受け続けた後遺症から起きていたんだと少しずつ認識できるようになりました。父や祖父にされた事が性的虐待であったとちゃんと理解できたのも、大人になり交際していた人にDVを受け怪我をして当時住んでいた地域の女性センターの講座を紹介され、そこで性暴力やDVについて学んだことがきっかけでした。

 

自分の人生を振り返ると、暴力というのは激しい渦のようになっていて1度でもそこに落っこちてしまうとなかなか這い上がれず、何度も同じように回されて浮いたり沈んだりを繰り返し、やっとその渦から外へ投げ出されたかと思えば何もかも削ぎ落とされていて渦の外で生きるための道具を全て失ってしまっているように感じます。

1度暴力の渦に落ちると普通に生きていくのが本当に難しいのですが、それを他の人(家族・友人・恋人)に認識してもらえることは私の人生ではほぼありませんでした。それは私が受けた被害が家族間での性暴力であったことも大きな要因だと思います。性暴力の被害はこの世には無いものとして扱われているのかな?と絶望した事が今までに何度もあるのです。

 

こういった絶望や憤りや悲しみを、自分の中だけで消化するのではなく外に開かれた場所に蓄積させていこうと思ったのがブログを始めた理由の1つです。

これから自分が記せる範囲でこれまでの被害を記録したり、生活や仕事の中で難しい事、どうやって困難に対処しているか、病院のことや気分転換の方法、あったらいいなと思う仕組み、たまには趣味のことなどなど、、、

自分の性暴力との闘争記録として、また、この記録が誰かにとってほんの少しでも性暴力について考えるきっかけになる事を願って少しずつ更新していこうと思います。

 

最後まで読んでくださりありがとうございました。