父と祖父からの性的虐待

※この記事では性暴力被害について細かく記載している為、フラッシュバックを引き起こしてしまったり気分を悪くさせてしまう可能性があると思います。読んでいただけます際はご自身の状態や体調をご考慮いただけましたら幸いです。

 

今日は自分が受けてきた被害について書こうと思います。自分の苦しみをいつか語りたいと思いつつも、他者を目の前にしてはいつも重い口が開かず主治医にも詳細を伝える事がこれまで出来ませんでした。

文字で書くという方法なら出来そうな気がするというのと、吐き出して気持ちの整理をつけたいという想いがこの頃は大きいので、全部とはいきませんが今の自分が書ける範囲で記しておきたいと思います。

 

私は母方の祖母、母、父が暮らす家に生まれました。私が4歳の頃に妹が生まれたのですが、同時期に一緒に暮らしていた祖母が若年性のアルツハイマーであることがわかりました。長年シングルマザーで私の母を育てるために頑張ってきた祖母を、母は施設ではなく家庭で介護することを決意しました。妹が生まれ母は育児と介護を同時進行で毎日やらねばならず、父は朝仕事へ行き夕方に帰宅するといった感じでその頃からなんとなく家庭内の雰囲気が母は祖母と妹の面倒を見て、私は保育所から帰宅したら父と過ごすというようになりました。

夜寝る部屋も妹と母と祖母が同じで、私と父が同じといった感じになり中学生頃までそれが続きました。

夜寝る時は毎日父に「おやすみのチュウは?」と言われそれに応えるのが決まりとなっていました。その後は「背中をかいてあげる」と言い私が眠るまでパジャマに手を入れて体(下半身も)を直接撫でるのが日課でした。私は4、5才の頃から寝る前はこれが毎晩の事だったので大きくなるまで何をされているのか理解できていませんでした。

お風呂にも私は必ず父と一緒に入らなければならずそれは中学生になっても破ってはいけない決まりでした。1人で入りたいと伝えても父は口癖のように「〇〇(私の名前)が大人になっても一緒に入るぞ」と言っていました。

 

小学校高学年になり生理がきた時からは「大人のお勉強」と称して私を膝の上に乗せ大人になるにつれて自分の体がどう変化していくのかを体を直接触られながら説明されるようになりました。母が家に居ない時によくこの「大人のお勉強」をされました。

この頃からは夜寝る時に体を直接触るだけでなく、そこから踏み込んだこともしてくるようになりました。そのあたりから私自身も、何をされてるのか理解はできないけれど物凄く不快だと感じるようになってきました。

その頃から体にも症状が現れだし夜に眠れなくなり、排尿コントロールができなくなりました。学校や家でトイレが間に合わない事が増え、それが友達にいじめられる原因にもなり凄く辛かったのを覚えています。毎日夜用のナプキンをあてて学校へ行っていました。人に真横や真後ろに立たれることが怖いこととなったり、急に体の制御が効かなくなり置物を叩き割ったり、学校の帰り道で川に石を腕の感覚が無くなるまで何度も思いっきり投げ続けていました。

当時は性的虐待が原因でそうなっていると分かっていなかったので自分は変わり者で出来損ないなんだという気持ちでした。せめて学業だけは頑張ろうと高校生の頃に燃え尽きるまでは、良い成績を取れるように頑張っていましたがそれも思ったようにできない場合がほとんどでした。

中学生になってからもほぼ毎晩父からの加害が続きました。その中で、一つ変化がありました。その頃から父が「お父さん、昨日の夜変なことしてなかったか?寝ぼけてて覚えて無くてな。」と、毎朝私に聞いてくるようになりました。それを父に聞かれ始めてから、私は父が自覚を持って「変なこと」を私にしているんだと気づきました。

その頃から父に自分の体を触れられることをどうにか避けたいと思うようになりました。まずは義務だった一緒にお風呂に入る事と寝ることをどうにか止められるように頑張りましたが、同じ家に住んでいるので上手くいかず別で寝ていても側に来て布団をかけるふりして体を触られる事が何度もありました。当時は自分の中で父の言う事を聞かないことはダメなことだと思ってしまっていたので、自分が父を拒否したい気持ちをうまく認めてあげられてなかったと振り返って思います。

中学生の頃に父方の祖父の家の修繕が必要になり少しの間、父方の祖父と一緒に暮らしていた時期がありました。ちょうど夏休みの頃だったのですが祖父と私で留守番をしていた時に、祖父が私の下半身を無理やり触ってくることがありました。父と同じことをそのまましてきたので体が固まってしまい動けませんでした。その時の祖父の顔が微笑んでいて、それが今でも夢に出る事があります。それから2人きりになることがある時には祖父と父は親子で同じ生き物だから同じことをするんだと自分に言い聞かせてやり過ごしていました。祖父のあの微笑んでいる表情が強烈過ぎて、祖父のことを思い出すときはされたことよりもその顔を思い出して苦しむ事が多いです。

高校を卒業して数日後に家を出るまで物心ついた頃からずっと日常の中に当たり前に加害行為がありました。それを認識できるまでに何年もかかったし、今こうして文字に起こしていてもしんどくてはっきりと状況を描写することができない部分がまだまだ多いです。家庭内で起こる性暴力は誰にも気付かれない場合が多いこと、子どもの頃に受けた傷は認識するのにまず時間がかかるし、傷を認識して初めて治癒を目指せるから何年も何年も苦しみが続く事が多いのかなと感じます。

私は30歳になって今やっと自分が人間だと思えるようになった気がします。それまでは自分の事を普通とは違うモンスターだと思っていて、父と祖父から離れても健全に生きることができませんでした。父と祖父との時間も地獄でしたが、離れた後が地獄の本番が始まったなと思うような人生でした。大人になり、性的虐待について女性センターやそこで読んだフェミニズムの本で知識を得てやっと自分が歩んできた暗闇に光を当てる事ができました。そこで初めて私は、自分が他の人に傷つけられてはいけないし他の人を傷つけてはいけない人間なんだと実感できました。

 

被害者が今よりも簡単に時間をかけずに、自分が人間だと思い出せるような世の中の仕組みが増えたらいいなと思う。私はそれを増やしていけるように元気を取り戻そうと思う。

 

最後まで読んでくださった方、ありがとうございます。